光丘文庫デジタルアーカイブ「酒田駅」 2019

庄内探訪.

光丘文庫デジタルアーカイブ「酒田駅」

光丘文庫は、中世から明治に至る酒田の発展を示す酒田の文化遺産。そのデジタルアーカイブは、光丘文庫が所蔵する貴重な歴史資料のなかから、視覚的に鑑賞できる資料をデジタル化したもので、インターネットで「ADEAC(アデアック)酒田」と検索すれば、貴重な資料を探訪することができる。
2018年12月に運用が開始されたが、ここではその一端を紹介する。第1回目は酒田の玄関口「酒田駅」。その初代の姿にホームの写真を加え、同写真に付された解説文とともにアップした。
大正3年(1914)12月24日陸羽横断鉄道酒田線(陸羽西線)が開通し、酒田駅が落成する。大正6年(1917)の酒田駅乗車人員は11万8140人、降車人員11万2059人だったが、同15年(1926)には乗車人員67万938人、降車人員65万4480人と大幅に増加しており、鉄道が輸送と発展の要であったことがわかる。酒田線が開通した当時、酒田駅は西荒瀬村大字酒井新田にあり、昭和3年(1928)酒井新田の住民より酒田への合併願いが出されるが、その実現は同16年(1941)であった。この駅舎は昭和9年5月に新駅舎が完成するまで使用されたもの。(酒田市史編纂委員会編『酒田市史改訂版下巻』より)